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HOBBYRA HOBBYRE × Morris & Co.

Morris & Co. ~ウィリアム・モリスの世界へようこそ~

William Morris(ウィリアム・モリス)は19世紀後半の英国において、アーツ&クラフツ運動を牽引した偉大なデザイナー、詩人、思想家、工芸家であり、モダンデザインの父とも呼ばれています。
モリスは、”モノ創りの喜び”と”素材の自然美”に大きな価値を見出し、この運動が彼の信念として世界に広まりました。やがてそれは日本においても大正時代、”民芸運動”の中で伝えられたのです。

モリス逝去後120年あまりも経過していますが、彼の”残した信念”は普遍的に受け継がれ、唯美的戦略として築かれた優秀なデザイン・スタイルを伴ったMorris & Co.のインテリア装飾として今日でも創造を続け、世界中へ流通されています。

ホビーラホビーレでは45周年を記念してMorris & Co. から代表的な8柄を選び、全柄にブランドのオリジナルカラーをご用意しました。着心地のいいローン地のウェアをはじめ、パッチワークや小物のキットとしてもご提案。

時を経ても魅力的な世界をご案内します。

© Morris & Co.

写真は左から、ウィリアムモリスが ”地上の楽園”と表現した癒しの家・ケルムスコット・マナー、
1883年、Morris & Co.から発表されたいちご泥棒、Morris & Co.壁紙のイメージ写真、
職人による木版ブロックプリントでの印刷の様子、木版ブロックプリントでの印刷の様子。

ウィリアム・モリスとモリス商会(Morris & Co.)ストーリー

デザイナーとしてのウィリアム・モリスのキャリアは、1857年にオックスフォードユニオンの装飾を手掛けたこと、そして1861年に建築家であるフィリップ・ウェッブと共にベクスリーヒースにレッド・ハウスを建てたことをきっかけにスタートしました。

1856年、モリスとウェッブは、ゴシック・リヴァイヴァル建築家として著名なジョージ・エドモンド・ストリートのもとで一緒に仕事をする機会があり、そこで意気投合し友人になりました。
1859年、ジェーン・バーデンとの結婚を機にモリスが建てた最初の家であるレッド・ハウスは、ウェッブがその設計をしました。当時の複雑で手が込み過ぎた調度品などに嫌気がさしていたモリスとその友人達は、中世のスタイルでレッド・ハウスの家具、刺繍、ステンドグラスの窓、天井、壁面、タペストリー、テキスタイルを装飾することにしました。
1861年にレッド・ハウスの内装を完成させた後、モリスたちは中世のインスピレーションを受けた手作りの室内装飾物を制作することを、個人的な趣味の範囲にとどめず、一つの社会的事業としてそれらを世に提供することに決めました。この決断が、装飾芸術や室内装飾に対する一般市民が抱いていたイメージを劇的に変化させることへとつながっていきました。

1861年に設立されたいわゆる「商会」として知られるモリス・マーシャル・フォークナー商会は、当初いわゆる事業を営む”会社”というよりも、若々しい理想主義を掲げながら共通の目的の下に集まった”友人達”という感じでした。設立メンバーは、ウィリアム・モリス、画家のフォード・マドックス・ブラウン、ダンテ・ガブリエル・ロゼッティ、エドワード・バーン・ジョーンズ、エンジニアでありアマチュアのアーティストであったピーター・ポール・マーシャル、建築家のフィリップ・ウェッブ、そしてオックスフォード大学の教授であり、数学者でもあるチャールズ・ジェイムズ・フォークナーでした。チャールズ・ジェイムズ・フォークナーは創業当時、経理を担当していました。彼らは、ロンドンのブルームスベリーにあるレッド・ライオン・スクエア8番地にスタジオを構え、そこでフォークナーを除くそれぞれのメンバーが装飾物のデザインを行いました。フォークナーの姉妹であるケイトとルーシーも後にそこでデザインをするようになりました。その頃、それぞれのメンバーへは、貢献度に基づいて決められた報酬に加え、会社の利益も均等に分けられて支払われていたと思われます。

当初は、各メンバーに専門的な知識や経験が不足していたため、製品制作の多くを外部に委託していました。しかし、それぞれが様々な技術を習得し、徐々に社内で色々な作業ができるようになっていきました。手狭になった仕事場は、新しい場所へと移り、拡張されました。壁紙の印刷を除いて、ステンドグラス、家具、タペストリー、テキスタイルなどほとんどの作業は、この仕事場でできるようになりました。

モリス商会は当時競合していた会社に比べて数は多くはないものの100を超える木版ブロックプリントの壁紙デザインを発表しており、それらの多くが今もなお世界中の室内装飾に影響を与え続けています。

モリスの哲学に、良質な調度品は、裕福な人たちだけのものではなく、全ての人々へ提供されるべきものである、ということがあります。しかしながら、残念ながら、手で作られたものは機械で作られた代替品に比べてはるかに高価になってしまい、その哲学は実際と矛盾した考えでした。それでもなお、モリスは、「ただ高価であるものを所有することの贅」ではなく「センスがよいものを所有することの贅」こそが、みんなが追い求めるべき価値観であるとして 世の中に訴え続けました。 競合会社からは「商会は、手作りされた良質で芸術的な製品を安価に制作・販売するメーカー」として位置づけられました。その彼らのやり方はとてつもなく無謀で長続きするはずがないやり方だとも思われていました。

当初、商会はステンドグラスの制作に力を入れていました。そこから、教会装飾、木彫り、金属細工品、壁飾り、そして家具へと事業分野を広げました。さらに、宝飾、ガラス製品、タイル、カーペットや刺繍を制作するようになり、今度はそれらが事業の中心になりました。
1865年、ロンドンのブルームスベリー、クイーン・スクエア26番地に会社を転居しました。その2年後、サウス・ケンジントン博物館のグリーン・ダイニング・ルームの室内装飾や、セント・ジェームズ宮殿の装飾の仕事を担当することになりました。これらの仕事が、商会の人気を押し上げる重要な転機になったことは言うまでもありません。

1875年、ウィリアム・モリスは、度重なる法廷闘争の末に、会社の活動に消極的なメンバーを排除し、また彼らがもっていた多額の借金までも清算して、モリス・マーシャル・フォークナー商会を解散しました。そして、同じ年に、モリスは自らを唯一のオーナーとするモリス商会(Morris & Co.)を創設し、エドワード・バーン・ジョーンズはそのチーフ・デザイナーに就任しました。

室内装飾のレベルを一層向上させることを目的に、モリス商会(Morris & Co.)は1877年にロンドンのオックスフォード・ストリート449番地に店舗、そしてショールームをオープンさせました。これはアーツ&クラフツに関する商品を紹介するだけではなく、富裕層に対して “自分たちが時代の先端を走るデコレーター”であることをアピールする場として活用しました。

1870年代の終わり頃、モリスは17世紀のタペストリー織の手織り職人技術を用いたタペストリーとカーペットを制作するという事業に乗り出しました。モリス商会(Morris & Co.)の手織りのハマースミスラグはとてつもなく高価でしたが、一部の裕福な顧客にはとても人気がありました。

1881年、モリス商会(Morris & Co.)は、幅広い室内装飾に関するサービスを提供するため、さらに大きな作業場が必要になってきました。そこで、ロンドンの南西に位置するマートン・アビーの土地を購入しました。ワンドル川に面したこの場所は、織物の染色や印刷に必要な水源が豊かに存在し、そして大きなタペストリー織機を設置できる広いスペースもありました。

1896年10月3日にウィリアム・モリスがこの世を去りました。 モリス商会(Morris & Co.)の事業は新しい経営陣の手に渡りましたが、創設者と親しかった仲間たちも会社を去ってしまったため、事業の活力は徐々に失われていきました。
1905年会社は売却され、新しい会社役員の多くは芸術的な才能がない実業家たちによって構成されましたが、そこには幸運にもモリスの弟子であったジョン・ヘンリー・ダールが残っていました。とりわけ初期の木版プリント技術を使って綿や麻の生地に上にプリントするというダールの創作活動により、モリス商会(Morris & Co.)は少しずつ失われていた評判や信用を回復させました。ただ一点、産業革命の間に開発されたサーフェイスローラーの機械を使って壁紙を印刷するということもやっていましたが、このことについては、もしモリスがそこにいたら彼の逆鱗に触れていたことと思われます。

1932年に、そのジョン・ヘンリー・ダールも亡くなり、会社における全ての芸術的技量は失われました。注文は減り、事業も継続できなくなりました。1940年3月21日、モリス商会(Morris & Co.)は任意清算され、その後Arthur Sanderson & Sons Ltd.(サンダーソン)によって買収されました。

1940年から1950年代にかけて、Morris & Co.は、その本来のデザイン的な特徴とは対照的なスタイルやファッションへと変化した時期でした。しかし、1960年の後半になると、ウィリアム・モリスやヴィクトリア朝のスタイルが復活し、商業的にもまた学術的にも再び大きな影響を与えるようになりました。 1980年代に、サンダーソンは、機械印刷されたMorris & Co.の壁紙やテキスタイルのコレクションを発表しました。決して高くない価格帯で幅広い層の顧客をターゲットにしたこの画期的なコレクションは、ウィリアム・モリスの「全ての人に芸術を」という哲学に合致した評価されるべき取り組みでした。

Morris & Co.ブランドがもつ、突出した発展性、沈んでもまた復活してくるたくましい力、そしてそれらと紐づく信用と評判は、ウィリアム・モリスや彼の仲間たちの独創性、創造力、そしてクラフトマンシップの上に出来上がっています。その代表的な柄たちがもつ価値の源泉は、時間軸を超えて、それぞれの時代の流行に適合できる柔軟さを持ち合わせていることにあります。今日、Morris & Co.の製品は、文化や国境をこえた人気があり、ヴィクトリア調のコテージや日本の町屋を装飾したりしています。
毎年新たな解釈を加えられながら今でも制作され続けられるMorris & Co.のコレクションは、また次の時の試練に耐えうる永続的な価値を提供します。

Morris & Co.(翻訳:ホビーラホビーレ)

Morris & Co. フォトイメージ

Morris & Co. の木版ブロックプリント
木版ブロックプリントでの印刷の様子
Morris & Co.の壁紙は、1864年から1927年までジェフリー商会が印刷していました
モリス・マーシャル・フォークナー商会で制作された初期の壁紙
写真は、トレリス(格子垣) (モリスがはじめてデザインした3点の壁紙の一つ)
モリス・マーシャル・フォークナー商会で制作された初期の壁紙
写真は、デイジー(ひなぎく)
(モリスがはじめてデザインした3点の壁紙の一つ)
1864年、モリス・マーシャル・フォークナー商会で制作された初期の壁紙
写真は、フルーツ(果物)(モリスがはじめてデザインした3点の壁紙の一つ)
Morris & Co.に残る当時の作品台帳(デイジーの図案が見える)
Morris & Co.に残る当時の作品台帳
Morris & Co.に残る当時の作品台帳
木版ブロックプリント
木版ブロックプリント
職人による木版ブロックプリントでの印刷の様子

©Images by kind permission of The Original Morris & Co., a subsidiary of Abaris Holdings Ltd.

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